宝くじにおいて、はずれること以上に虚しいことがあることをあなたは知っているか?
昨日の夜、僕は虚しさに飲み込まれそうになっていた。
心理カウンセラーの先生から「あなたは人でなしのろくでなしだから鬱にはならない」と言われたことがある僕が虚無感で茫然自失となっていたのだ。
ちょっと待てよ。
「あなたは人でなしのろくでなしだから鬱にはならない」というのは鬱耐性があるという褒め言葉だと思っていたが、よく考えると違うのか?
そんなことはどうでもいい。
僕は本当にどす黒い闇の中に落ちていってしまうそうな虚しさに苛まれていたのだった。
僕は毎週抽選する宝くじを購入している。
いくつかの数字の中から自分で番号を選ぶという宝くじだ。
その宝くじは数週間分購入できるため、いつも僕は一気に5週間分購入するのだった。
そしてあの日の夜に僕が虚しさで何もできなくなる出来事が起こるのだった。
宝くじがはずれる以上の虚しさに飲み込まれる出来事だった。
その宝くじの抽選曜日に僕は携帯を開いて番号を確認していた。
その週は色々なことが重なり、いつもの3倍近く(5000円近く)もくじを買っていたので、「何等かは当たるだろう」と思っていた。
1等が当たったあとの3年間は働いて、そのあとはしばらく仕事を休むつもりだ。
我ながら実に計画的だ。
ちなみに僕ははずれの宝くじはビリビリに破いて捨てることにしている。
以前はくじを綺麗なままで残しておいたのだが、そうすると僕のような欲の権化であり、自分が一番信用できない人間は時が過ぎると「確認ミスかもしれない」と何回も確認をしてしまうので、はずれと解ったらそのくじは破ることにしていた。
その日も当たり番号と自分の宝くじの番号を確認してから、くじをつぎつぎにビリビリに破いてゴミ箱に捨てていた。
5000円近く買った宝くじが次々と全く価値のないものに変わっていく。
「全部はずれるとは...」と思った瞬間、あることに気付いた。
「あれ、まだあるじゃないか?」
およそ5000円分チェックしたのにまだ宝くじが残っているのだ。
それから僕はサーッと血の気が引くのを感じた。
賢い読者様はお解りですね。
僕がビリビリと破っていたものはその週抽選の宝くじではなく、まだ抽選されていない宝くじだったのです。
僕はゴミ箱をひっくり返し、ビリビリの宝くじを拾い集め、ジグソーパズルのようにつなげようとした。
自分を客観視することはできなかった。
奥様はその様子を見て、「何、当たっていたの?」と聞いていたが、悲哀にくれる僕は「違う」とだけ伝えた。
奥様は「ならばなぜこの男はゴミ箱をひっくり返す必要があるのか?」と思ったことだろう。
その晩は虚しくて本当に眠れなかった。
宝くじを買って抽選前に捨てるという行為をした自分の愚かさを憎んだ。
そしてその宝くじが本当は当たりだったらどうしようという恐怖にもかられるわけだ。
次の日僕は長時間かけて復元された宝くじから番号を推測し、再び宝くじを買いに行くことになった。
というわけで今回の記事は「『男はみんな湯豆腐好きだ』という意見を否定する」という内容を扱いました。
虚しさで自分が何を書いているのかよく解っていません。
※ 癒やす。