【学校の先生に聞いてみた!】昨今の日本の教育現場では言いにくくなっている言葉
出張先で聞いた先生の話がとても心に残ったので、今回はそれを記事にしたいと思った。
具体的には平成後期から教育現場で暗黙の了解で禁句に近い状態になっている言葉を紹介する。
どちらかと言えば真面目な内容であり、失笑必至な記事がお好みの読者様は殿堂入りの記事をご覧になっていただきたい。
話をしてくれた先生は私立学校の教員であり、宿泊行事での食事に関することを話してくれた。
公立とは異なり、各私立学校は独自の教育的理念を持っている。
全ての私立学校に当てはまるわけではないが、多くの私立学校がほかの学校との差別化を図ろうとさまざまな教育活動に力を入れている。
長期休暇中に色々な場所で宿泊行事をしたりするのもその一環である。
宿泊行事で避けて通れないのは食事である。
そう、その食事が問題なのだ。
一昔前では自然と言われていた言葉が今はもう躊躇われるものとなっているのだ。
その言葉とは「残さず食べましょう」である。
前提としてご理解いただきたいのは、アレルギーを持っている生徒に「残さず食べなさい」というのは間違いを通り越して、教員失格だということだ。
この記事はそういうことを言っているのではないことをなにとぞご理解いただきたい。
ちなみにアレルギーを持っている生徒は除去食を提供されるケースが多いわけなので、必ずしも完食ができないわけではないこともご承知いただきたい。
また無茶な盛り付けがなされている場合も「残さず食べましょう」とはいうべきではないと思う。
その先生によれば、保護者から「完食を強いることはやめてほしい」と言われることがあるらしい。
理由は「食が細い」だとか、「家では好きなものしか食べない」からだそうだ。
百歩譲って「食が細い」というのは理由としてわかるが、「家では好きなものしか食べない」というのは正直理解に苦しむところだ。
それでも先生は「残さず食べなさい」とは言いにくいらしい。
子供が「申告していないがこの食材にアレルギーがある」と言ったら、それ以上先生は何も言うことはできないからだ。
何でもかんでも多様性を重視する現状においては、子供に「ものを残す自由」も与えられているのだ。
そして先生は生徒が食堂を立ち去ったあと、独り食器を片付けるのだそうだ。
僕はこの話を聞かせてもらったとき、すごく難しい問題だなと思った。
多分この先生は完食することが食事を作ってくれた人への感謝になると考えているのだろう。
そして「残す自由」を与えられている子供はそもそも完食することがなぜ感謝を示すことになるのか解らないと思う。
先生は子どもに伝わる教え方を開発せねばならないし、家庭での教育も不可欠であると思う。
「う〜ん、先生は大変だなぁ」と改めて思った一日だった。
※ 先生グッズ。