避難訓練
いざというときに備えて、日頃から避難経路などをシミュレーションすることは大切だ。
だから避難訓練の大切さは誰もが理解している。
そして学校には避難訓練を実施する義務がある。
最近では机や椅子などを廊下に倒しておいて、臨場感を出す学校もあるらしい。
怪我人役を避難経路の所々に配置することもあるようだ。
先生方の涙ぐましい苦労には頭が下がる思いだが、学校で行われる避難訓練はどうにも割り切れない部分があった。
思春期だったからではない。
確かに自分が中学校の頃は気恥ずかしくて、机の下に隠れるのも気がすすまなかった。
学校の先生にも如何ともし難い気持ちをもってこの活動に参加している人は多いと思う。
重ね重ね言うが、訓練は大切だ。
ただ僕がずっと気になっていたのは、そのセンスであった。
避難するときのルール
グラウンドへの避難が終わると、だいたい教頭先生だか校長先生だかが朝礼台の上に立って、避難にかかった時間を報告し、もう少し短縮できるとおっしゃられる。
そして「これだけは覚えておいてください」と言って、避難するときのルールをまとめたものを伝える。
それが「おかしもち」か「おはしも」だ。
これらは地域によって違うらしい。
「おかしもち」は以下の禁止事項の頭の文字を取ってできたことばである。
おさない
かけない
しゃべらない
もどらない
ちかよらない
そして「おはしも」は以下の禁止事項の頭の文字を取ってできたことばである。
おさない
はしらない
しゃべらない
もどらない
まったく覚えられない。
しつこいようだが、避難訓練は本当に大切だ。
ただ、生徒を避難させて、偉い先生がこの「おかしもち」か「おはしも」でまとめるパッケージが僕には割り切れなかった。
「おかしもち」も「おはしも」もアトヅケでできたものだ。
そのセンスに疑問を持ってしまう。
そもそも「おかしもち」や「おはしも」なんて言葉を聞いたことがない。
聞いたことのない単語が、さらに別の階層で禁止事項のまとめになっている。
言葉の大迷宮である。
そもそも聞いたことがない言葉を避難中に思い出すことができるほど人間は器用ではない。
よしんば思い出せたところで、それぞれの禁止事項に到達することができるだろうか。
ならばせめて日本語として発話されうるものにしたほうがいい。
そこで僕が考えたのは「おもちしかない」だ。
正月、御節を食べてしまったあとに、おもちしかないことはあり得る話だ。
だから「おもちしかない」という言葉は日本語として違和感がない。
「おもちしか」が指す内容は「おかしもち」の順番を変えたものだ。
おさない
もどらない
ちかよらない
しゃべらない
かけない
そしてそこに「ない」を足すだけだ。
なげださない
いかなることにもまけない
大事MANブラザーズバンド感は否めないが、アトヅケ感はなくなったと思う。
教頭先生や校長先生、責任は取りませんが1度「おもちしかない」をお試しになられては?
30代後半から40代半ばくらいまでの人にはささること請け合いです。
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