一日だけなりたいもの
ノーベル平和賞を受賞されたシュバイツァー博士はこう言っている。
生きていることが惨めに思えるとき、
心を癒やす術は2つある。
音楽を聴くことと猫と戯れることだ。
訳は僕がしたものだ。
さすがシュバイツァー博士、その通りですよ。
僕は昔から猫好きだ。
猫に憧れている。
誰にも媚びることがないあの気高さ。
人に合わせることをしないあの自由さ。
太っている猫など超どストライクだ。
野生の本能をなくしてしまった感じがツボである。
有名な話だが、猫は現代の日本の干支に入っていない。
「現代の」というのは、絵描きさんによって猫を干支に含んでいた時代があるという意味である。
また「日本の」というのは、ほかの国の干支的なものには猫は入っているという意味である。
架空の動物やほかの干支メンバーよりも猫はポピュラーなのに、である。
ただ、こういうところも僕は猫らしくて好きだ。
「我、関せず」という感じがたまらない。
そして、何かをしているときに邪魔をしてくる猫がたまらなく愛おしい。
昔、実家で猫を飼っていた。
その猫はふだんはブラウン管のテレビの上の特等席で眠っていて、家族がすることに何の関心もなかった。
しかし家族がいったん何かを始めると、鬱陶しい親戚のおじさんのように「何やっとるんや?」という風に近づいてくる。
本を読んでいるときが特にまずい。
必ず開いている本の真ん中に座られる。
まったく文字が読めない。
何て可愛いんだ。
そしてときにお尻の匂いを嗅がせてくる。
どこまで自由なんですか。
今の日本のコンプライアンスでは絶対駄目な行為ですよ。
また布団で寝ていると、堂々と中に入ってくる猫がすきだ。
布団の真ん中を陣取り、僕を追い出したことがある。
くそう、可愛すぎるじゃないか。
中学生だった僕は猫に布団を譲り、自分は冬の夜を布団なしで過ごしたものだから、次の日は酷い風邪をひいて学校を休んだ。
猫好きにはその欠席は勲章のようなものだ。
可愛いから仕方がないのだ。
そして風邪で寝込んでいるときも、猫は容赦なく布団の中に入ってくる。
こちらの都合など一切考えることのない自分本意な生き方に悶絶する。
そしてそのくせ、こちらが弱っているのが解ると、頬を舐めたりしてくるのだ。
いや、可愛すぎて失神するわ!
ここまで書けば僕が猫になりたいのも解ってもらえると思う。
問題なのは体質的に僕は猫アレルギーであるということである。
maruneko-cannot-sleep.hatenablog.jp