まる猫の今夜も眠れない

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大好きなギャグ漫画なのに冷めてしまう瞬間

お題「〇〇が実は大好きです!」

ギャグ漫画が大好きだ

最近は控えているが、かつて僕は暇になると本屋へ行って漫画をジャケ買いしていた。

ジャンルにとらわれず、いろいろな漫画を読んだ。

今も本棚には冒険漫画・野球漫画・歴史漫画・エッセー漫画・グルメ漫画・ギャグ漫画が並んでいる。

現在の僕の「3大漫画」に含まれているものは冒険漫画、野球漫画、歴史漫画であるが、やるせない夜にはギャグ漫画は欠かせない。

乗り気がしない旅行にはギャグ漫画を保険で持っていくこともあった。

とにかくギャグ漫画家さんはすごい。

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続きものの漫画であれば、ストーリーは大きな流れが1つあればいいが (それだって大変なことだ)、ギャグ漫画家さんは毎回違うストーリーを考えなくてはならない。

しかも笑いという人間だけに与えられたものを産み出さなければならないのだ。

マンネリを避けるために、感性をいつもアップデートさせておかないといけないし、扱う題材も多岐にわたる。

度を越したスラップスティックなものは最初は受け入れられるかもしれないが、やはり何らかのルールを与えないと作品が長持ちしない。

読者が何を求めているかを感じ取り、世界観を壊さないように取り入れなくてはならない。

いろいろなことに気を遣っている。

繰り返しになるが、ギャグ漫画家さんはすごいのだ。

世の中のギャグ漫画家さん、本当にいつもありがとうございます。

だからギャグ漫画は大好きなのだが、そんなギャグ漫画にも冷めてしまう瞬間が2つある。

自分でギャグ漫画を描いていない人間が言うべきではないが、とにかく冷めてしまうのだ。

 

覚める瞬間の1つ目

ギャグ漫画を読んでいて、僕がその世界から追い出されてしまう瞬間の一つは歌詞オチである。

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何の脈絡もなく、「面白いだろ?」と言わんばかりの歌詞が書かれているアレだ。

こちらとしては歌詞を書かれても、共有されていない情報が多すぎて戸惑ってしまう。

文字だけではメロディーラインやテンポのイメージが沸かない。

作者と読者の隔たりを感じて、我に返ってしまう。

だからオチが歌詞形式になっていると、その漫画の世界から追い出された気になってしまうのだ。

うすた京介先生ならば歌詞オチでも面白くできるが、それは歌詞をフリに大オチをほかに作っているか、きちんとした必然性を作っているからだ。

 

覚める瞬間の2つ目

ギャグ漫画を読んでいて、僕が1番冷めてしまうのはご自由にオチである。

「ご自由にオチ」とは僕の造語だ。

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それはつまり、「フキダシに好きなセリフを入れてみよう」とか「ここに好きな絵を描いてみよう」というアレである。

これに至っては本当に意味が解らない。

いかなる文脈があったとしても、大オチとして成立するものではない。

これに至っては、なぜそれを話のサゲに使ったのか不思議になってしまって我に返ってしまう。

 

まとめ

僕はギャグ漫画が大好きだ。

ギャグ漫画を書く先生は立派だ。

けれども好きな気持ちが強すぎて、その世界から放り出されて我に返ってしまうと無性に寂しくなってしまう。

ずっとその世界に浸っていたいのだ。

maruneko-cannot-sleep.hatenablog.jp