雑記ブログを書いています
僕の場合、ふりかけや漫画を愛する記事もしくは教育に関する記事以外はほとんど雑記を書いている。
そして雑記と言っても昔話以外は笑い優先的なものが多い。
ちなみに本当に読者様に笑ってもらえているかは定かではない。
多分全く笑ってもらえていない可能性のほうが高い。
雑記ブログの利点
雑記ブログの素晴らしい点は自由であることである。
特化ブログと違って、ある程度のクオリティーに到達していればどんなジャンルのことを書いてもいい。
この点は何か1つに特化していない僕にとってはたいへんありがたいものだ。
しかも年齢とともにこだわりがなくなっている。
「こうでないといけない」という感覚がだんだんなくなっている。
成熟と言えば成熟なのだが、単純にストイックでなくなっていると言ったほうが正しい気がする。
だから広く好きなものを紹介したり、面白いと思うことを記事にできる雑記ブログという形式は自分にとっては最適解だったと言える。
僕だけが抱える雑記ブログの弱点
おそらく僕だけが抱えている問題だと思うが、雑記ブログにも弱点がある。
多分この悩みは誰にも共感していただけないだろう。
前述した通りであるが、雑記ブログという形式を取れば縛りなく好きなことが書ける。
大変ありがたい。
ところが好きなように書いていくとある問題に直面する。
ツッコミがないのである。
文才豊かな方ならば思い煩うことはないだろう。
ただ僕には文才はない。
そのくせ、読者様の貴重な時間を取ってオチがない話をすることに抵抗がある。
だからボケてツッコむというパッケージがないと記事自体が成立しない。
投げっぱなしジャーマンをずっと繰り出している感覚になる。
いや、これは正確ではない。
正確には「投げっぱなしジャーマンの個人練習をずっとしている感覚になる」が正しい。
「な〜んちゃって」とまとめることほど勇気のいることはない。
無意識な防衛
その状況を避けるためか、僕のブログにはフォレスト桜子をはじめとして、第三者が登場することが多い。
それらのキャラクターはとりとめもない話にまとまりを作るために存在している。
フォレスト桜子の話は最初は単なる日記だったのだが、あまりに面白くなかった。
そこで、第三者の視点を通じて日記を俯瞰で見させてツッコミができる状態にしたのだ。
僕にとってはこれが存外に便利なシステムとなった。
改めて漫才という形式の素晴らしさや奥深さを実感したのであった。
なお今回の記事は第三者の視点を設定していない。
そのため、このようなエンディングとなるわけだが、果たして読者様はどのようにお考えになるだろうか。
※ 漫才に興味があるかたはどうぞ。
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