子どもの頃に勘違いしていた、ちょっと恥ずかしいこと1
意味を理解していない子どもの頃でも、クリスマスは心が弾んだ。
街が華やいだり、人通りが多くなるから、何となく素敵なことが始まるのだろうという予感を感じたのだろう。
もちろん、訳もわからないままにもらえたプレゼントも、クリスマスを素晴らしいものだと思わせるのに一役買っている。
しかし、そんな楽しいはずのクリスマスであるが、どうもある曲が流れたときだけ、僕がいぶかしげな顔をしていたらしい。
その曲とは「もろびとこぞりて」である。
今でこそ意味深く素晴らしい曲であることは解るが、幼い僕には難しすぎた。
めでたい曲であることは何となくわかったが、タイトルからして理解ができなかった。
「もろびとこぞりて」というフレーズの中で、幼い僕が知っている単語が1つもないのだ。
そして僕を悩ませたのは最も重要とされる「主は来ませり」の部分だ。
もちろん、今は素晴らしい意味であることは理解できるが、幼い僕は「シュワキマセリ」というカタカナ、つまり英語だと思っていた。
とりあえず、クリスマスは海外のものだし、「もろびとこぞりて」も英語の曲であるのだろうという考えだ。
ちなみにこの勘違いであるが、小学校高学年まで理解していなかったということは誰にも言いたくない事実だ。
子どもの頃に勘違いしていた、ちょっと恥ずかしいこと2
顔ニューロンというものが実際にあるかどうかは解らないが、僕は幼いころは大人の人の顔の区別が得意ではなかった。
同級生は区別できていたわけなので、シンプルに大人の区別だけが得意ではなかったことになる。
(逆に人間の声質を聞き分けることにかけてはなぜか得意で、例えばアニメなどを見ているときに、声優さんが誰かを間違いなく当てることができた。)
そんな大人の顔が認識できない僕が、同一人物だと思っていたのがジャッキー・チェンさんと武田鉄矢さんであった。
今でこそ、全く似ていないことは解るが、幼い僕には同じ人物に見えていた。
何しろ、髪型が同じではないか。
だから武田鉄矢さん (もしくはジャッキー・チェンさん) を滅茶苦茶運動神経の良い、いろいろな言語を話せる凄い人だと思っていた。
ちなみにこの勘違いであるが、別人だとわかったのが小学校高学年であったということは誰にも言っていない事実である。
何と後半へ続く
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