どうしようもない駄目人間が「弁当を使う」という表現にちょい足しをしてかっこよさをグレードダウンさせる
弁当を使う。
かっこいい表現だ。
なかなかこういう粋な表現はできない。
諸説あるが、かつて人前で何かを食べるということは気恥ずかしいと考えた人たちがいた。
だから「弁当を食べる」における「食べる」をほかの単語に置き換えることで、せめて言葉上では粋を貫こうとしたわけだ。
かっこいい。
「弁当を遣う」とも書くらしい。
少し違うが、「煙草をくゆらせる」という表現もかっこいい。
いい歳になってきたし、そういう粋な言い回しも使っていきたい。
本日はこの粋な言い回し「弁当を使う」にちょい足しをしてかっこよさをグレードダウンさせてみたい。
「なぜそんな意味のないことを?」と考える方もおられると思う。
けれども思い出してほしい。
このブログが今まで意味があったことがあるだろうか?
まず「弁当を使う」ということは「弁当を食べる」であるということだ。
そしてここでは「食べる」ということがフォーカスされないようにしないといけない。
となると、ほんのりとダサさを匂わせる表現でないといけない。
かつ特定の誰かが悲しむような表現にはしたくない。
それらを踏まえると、第1案としてでるものは以下のものだ。
案1 弁当を仁王立ちで使う。
強い。
仁王立ちのインパクトが強い。
そんな勇ましく弁当を食べる人はいない。
仁王立ちが強すぎて、ほかの情報が全くと言っていいほど入ってこない。
しかももとの粋な表現が台無しだ。
これはいきなり答えが出てしまったのかもしれないが、取り敢えず第2案も出したい。
案2 ドナドナ弁当を使う。
牛肉がメインの弁当なのだろうか?
これではかっこよさをグレードダウンさせるというよりも、あの歌のせいで単純に哀しい気持ちになる。
仮にドナドナ弁当というものがライン川流域あたりで売られていたとしても僕には買う勇気がない。
そもそも欧米感を出している時点で、日本の粋という観点では台無しだ。
ザ・日本という形でグレードダウンさせないとやはり卑怯だと思う。
そうなると第3案としてでるものは以下のものだ。
案3 弁当を使うナリ。
あいつだ。
これではあいつになってしまう。
奇妙奇天烈摩訶不思議なあいつになってしまう。
そしてあいつがしゃべってしまうと、「もともとそういう言い回しが正しかったのではないか?」となってしまう。
そうじゃない。
そうじゃないのだ。
そうなると第4案としてでるものは以下のものだ。
怒られる。
ファンからも関係者からも怒られる。
だいたい特定の誰かが悲しむような表現にはしたくないと言っていたではないか。
これは全く駄目だ。
そうなると第5案としてでるものは以下のものだ。
案5 うんめぇ〜弁当ベンを使う。
果たして読者様が気に入ってくれたものがあっただろうか。
これからもどうしようもない駄目人間としていろいろなことをやってみようと思っている。
読者様、「やってみようのコーナー」を今後ともよろしくお願いいたします。