床屋にいた内藤さん
僕はふだん床屋には行かない。
若いころは美容室で髪を切ってもらっていたが、最近はモールなどにあるチェーン店で切ってもらうことが多い。
僕は毛量が多いので、美容院で全てシザーで切ってもらうのが申し訳ないというのもある。
バリカンで短く切ってもらうくらいが手っ取り早くて丁度いい。
ただ新しい家に引っ越して来て、街の様子が知りたかったのもあり、少し前に近所の床屋に行った。
その床屋さんは、60代前後と思われるマスターとその娘さんと思しき女性が主に接客をしていた。
二人ともとても感じがよく、温かい雰囲気が店から感じられた。
店の回転も速くて、割とすぐに僕の散髪の番が回ってきた。
皮の椅子に腰かけて、「短く整えてください」と注文する。
気持ちのいい返事を聞いて、「たまには床屋もいいもんだなぁ」と思いながら辺りを見渡すと、僕は運命的な出会いをするのだった。
おじいさんが奥に座っている。
床屋さんの服を着ているから客ではない。
明らかにマスターよりも歳上だ。
どう見ても80代という感じだ。
どういう関係なのかとても気になる。
マスターのお父さんなのかと一瞬思ったが、マスターはおじいさんのことを名字で呼んでいる。
そしてそのおじいさんはマスターの師匠でもなさそうだった。
僕の隣りのお客さんの散髪が終わると、内藤さん [仮名] と呼ばれるおじいさんはゆっくりと立ち上がり、ほうきを両手で持ち、床に散らばった髪の毛を掃き取り始めた。
僕は「こんな高齢になられても働くのが好きなんだなぁ」と思い、内藤さんが労働をされる姿に勝手に感動をしていた。
すると内藤さんの動きがゆっくりと止まる。
「んああ...」
そう言って、内藤さんはテレビに釘付けになってしまった。
僕はテレビを見ると、壇蜜さんが映っていた。
内藤さんは壇蜜さんをずっと見つめていた。
完全にその美しさに心奪われている。
娘さんがそれに気付いて、「内藤さん、内藤さん、お仕事、お仕事」と優しい声で伝えると、内藤さんは再び床の掃除を始めた。
僕の散髪が進み、いざシャンプーをする前にマスターが「内藤さん、よろしくね」とおじいさんに掃除を頼んだ。
内藤さんは僕のそばにきて、髪の毛を片付けてくれる。
何だか恐縮する。
そのとき、また壇蜜さんがテレビに映った。
「んああ...」
内藤さんの作業が止まる。
内藤さんは何を思うのか。
「内藤さん、床お願いね」とマスターに優しく言われ、内藤さんは我に返る。
しかし作業に戻ったのも束の間、また画面に壇蜜さんが映ると内藤さんは立ち止まるのだ。
「んああ...」
内藤さん、どういう「んああ...」なんですか、それは。
笑いながら、娘さんに「ごめんなさいね、いつもこんな感じなのよ」と言われる。
僕は「いえいえ、大丈夫です」と微笑んで返事をする。
僕は「内藤さんは二人にとても愛されているんだなぁ」と感じ、とても心が温かくなった。
でもまあそう感じている間も、内藤さんは気の抜ける声を出しながら、テレビに釘付けなんだけれども。
店を出て、「来てよかったなぁ」と思いながら、家路につく。
そしてふと思うのだ。
「いつもなの?」