アメリカ、第二の故郷
僕は十代の頃、アメリカに留学していた。
僕が住んでいた町には、おじいさんとおばあさんがヨーロッパから来たとか、ネイティヴ・アメリカンをルーツに持つとか、さまざまな背景を持つ人が集まっていた。
僕のようなアジア人はさほど多くはいなかったが、同じアメリカに住む者としてあるがままに受け入れられた。
そんなアメリカの懐の広さは今でも素敵だなと思っている。
僕にはアメリカ人の同僚がいて、その人がアメリカの現状を嘆くことがあるが、その国には確かに自由はあったのだ。
現地校のカリキュラム
さて僕はアメリカの現地校に通っていた。
僕の通っていた高校は必修科目以外の時間割を自分で決めることができた。
僕は当時は音楽かぶれで、ギターに夢中になっていた時期だった。
だから運動は一切していなかったのだが、時間目に体育を選択した。
2日に1度は体育を取らなければならなかったのだ。
その学校の体育は3つのスポーツから1つを選び、50分ほどそれをプレーするという授業形態を取っていた。
卓球、バスケットボール...
最初の授業の日になり、僕は種目を選ぶためにまず小さな体育館に行った。
体育館では卓球が行われていた。
経験のない僕でも、授業程度なら参加できるかと思った。
よく見ると、体育館にはさほど多くないアジア人が結集しているようだった。
言葉から察するに、おそらく中国から来られた留学生だ。
取り敢えず競技を体験させてもらえるようだった。
僕は中国から来られた留学生とテーブルで向かい合った。
その留学生は涼しげにボールを打ち出す。
強すぎる。
まず玉が見えない。
僕が上手くないというのもあるが、それを差し引いても圧倒的だ。
1点も取れずに試合が終わる。
次は近所に住むイタリア系の女の子との試合になった。
女の子は独特なスタンスでボールを打ち出す。
強すぎる。
なぜこんなことが起こるのか?
あとで聞いた話だが、雪で覆われる地域は冬に運動不足を解消するために、地下室に卓球台をおいて家族で楽しんでいることがあるらしい。
だからその女の子も家で相当やりこんでいるようだった。
僕は卓球はあきらめて、次の種目に向かった。
次のスポーツは大きな体育館で行われているバスケットボールだ。
これに関しては、体育館に入るやいなや無理だと解った。
高校生なのに身長2メートルを越す男たちがハードに試合を繰り広げていたからだ。
おそらく僕が来る前年からこの体育の授業に参加していた生徒たちだろう。
当たり前のようにダンクシュートを決めていた。
体育の先生のところへ行き、「卓球もバスケットボールも自分には合わない」ということを伝える。
先生は「しょうがないな、じゃあ芝生に行ってキャッチボールをしなさい」と僕に言った。
「キャッチボールならできそうだ」と思い、僕は校舎裏に広がる芝生へ向かった。
しかしそこで待っていたのは見たこともないキャッチボールだった。
後編に続く