詩
我努書個人的電子記事
我知我不持内容
真夜中我求内容
哀哉我不発見内容我欲書
我必要有執筆書籍
締切迫
併我不能発見良内容
我歩室内
我歌歌謡曲
我組座禅
併我不能発見良内容
其時我発見黒子近臍
我不知其処黒子有
我問何之
我眺其黒子数分間
其後我気付
其非黒子
其即韓国海苔
演舞
「まさか前回の形式を気に入るとは。」
まる猫のこの動きは読者様だけでなく、関係者も唖然失笑を禁じ得ないものだった。
この動きとは止せばいいのに漢文調で詩を書いた彼の奇行のことである。
「前回よりもグレードダウンしているのではないか。」
そんな読者様の声も聞こえてくる。
まる猫は忘れているのだ。
前回の「詩と演舞2」のサムネイルを見て、自分自身も「うわっ、文字化けしてる」と哀しみにくれたことを。
それよりも「何かこんな風に記事を書くと賢く見えそうだなぁ」という愚か者しかしない思考回路が勝ってしまったのだろう。
過ちから学べない人間のなんと哀しいことだろうか。
「なぜ人が求めることと逆のことをしてしまうのか。」
まる猫を知る人は頭を抱えた。
兎にも角にも、古代中国の英雄は酒を愛し、詩を愛したことは有名であり、横山光輝先生の「項羽と劉邦」を人生の愛読書としているまる猫も例に漏れず中国の英雄に憧れている。
卑小な存在である自分も中国の英傑のように生きられたらと常日頃から思っているのだ。
もはやシラフの状態であっても、まる猫は何処からともなく扇子を持ち出して、黄河の流れを想い、誰にも求められていない舞を踊るのだった。
もしも宇宙人が俯瞰でまる猫を見ているとしたら、それはおっさんが真夜中に完全に乱心しているように見えることだろう。
夏場になると怖い話の特集が組まれることが多いが、是非とも言っておきたい。
本当に怖いのは真夜中に半裸で扇子を振り回し、ボックスを中心とした舞を踊りながら意味不明な訓読みで漢詩のようなものを口ずさんでいるおっさんなのだ。
この記事は当然のことながらフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係がありません。
※ 扇子。