まる猫の今夜も眠れない

眠れない夜のお供に

そしてボツだ、途方に暮れる

そしてボツだ、途方に暮れる

こんな深夜に「ぬぉぉぉぅ」と言っているのは僕らしい。

三者的視点で自分を見つめられるほど僕は覚めている。

全く面白い記事が書けないのだ。

「一度も書けたことがないではないか」と言われれば、「刑事さんの言う通りです」と答えるまでである。

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敬愛するブロガーさんたちは毎日のように記事を配信されている。

中には1日に3記事以上も投稿される方もおられる。

いったいどうやってそんな魔法のようなことができるのだろうか。

もしかしてアシュラマンなのだろうか。

全く理解に苦しむところである。

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もちろん僕も面白い記事が書けないからといって、ずっと手をこまねいていたわけではない。

記事を書いては消す、書いては消すという作業を繰り返しているのだ。

それはまるで計測をしない反復横跳びをしているようなものだ。

今日まず書こうと思っていたものは句読点に関するものだった。

たとえば誰でもいいのだが、仮に婿駄院 鼻次郎としよう。

婿駄院 鼻次郎が「そうだ」と言ったあと、「その薔薇の花束の差出人はこの俺だ」と続けたとする。

この婿駄院のセリフを言葉にするときに、僕はずっと以下のようにしていた。

「そうだ。その薔薇の花束の差出人はこの俺だ。」

実際、インターネットで調べても上記の表現に間違いはないと書かれている。

ところが僕の上司が執筆した本では以下のようになっているのだ。

「そうだ。その薔薇の花束の差出人はこの俺だ」

お解りだろうか。

丸が付いていないのである。

そのあと(つまり『」』のあと)に「と婿駄院は述べた」というような文言が添えられていないのにだ。

そう、僕はここで初めて文の終わりに「。」がつかないケースもあるという事例を知ったのであった。

そして肝心なのは、この内容では面白い記事にすることはできないということだ。

何回も書いて何回も修正したがどうしても面白い内容にはならなかった。

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つぎに僕が書こうと思ったのはとある家についてだった。

雨上がりに家の近所を歩いていると、1階にロープがはられていて、「売家」という看板が備え付けられている家を見つけた。

「この家、売りに出されるのか」と思って窓を見てみると、そこにはPayPayのステッカーが貼られていた。

そして最近は家はPayPayで買うのかと僕は思ったのである。

再び忘れてはいけないのは、この内容では面白い記事にすることはできないということだ。

この内容も何回も書いては修正したが、どこをどうしても面白くならなかった。

ここまで書いて僕は冷蔵庫を開けた。

奥様が僕にコンビニスイーツを買っておいてくれたのだ。

何と優しい奥様だろう。

結構大きなサイズで高かったと思われた。

それを食べてクールダウンしよう。

僕は冷蔵庫から出したティラミスを食べ始めた。

それから喉が乾いたなと思って再び冷蔵庫を開けると、僕は不思議なものを見つけた。

冷蔵庫には小さな小さなカップスイーツがもう1つ入っていた。

僕は青ざめた。

そして自分が食べ始めたティラミスの蓋を見る。

そこには奥様の名前がマジックで書かれていた。

 

この記事はここで終わる。

急用ができたのだ。

僕は今からコンビニに行って、ティラミスを買わないといけなくなった。