後方から見られることの恐怖
小さなことで不安になってしまう僕には、恐怖症に近いことがいくつもある。
例えば、外出している間に火事などにならないように、コンセントを全部抜いたりしてしまうことがある。
また、過剰に失敗することに恐怖を覚えて、自分のした行為を何度も確認することがある。
そんな僕であるが、人から全く理解されない恐怖症が「自分を後ろから見られること」である。
「自分の後ろに立たれること」ではない。
それだとスイス銀行に口座のある、眼光鋭いあの人になってしまう。
誰かに恨みを持たれていて、後ろから狙われているというわけでもない。
こんな事があった。
とある仕事を始めてしばらくしたときに、僕はプレゼンテーションを任された。
プロジェクターもなく、文字化したいものはホワイトボードなどに書くという時代だった。
いまでこそ、プレゼンテーションは学校の授業でもなされていることであると思うが、当時はそうではなかった。
僕の失敗恐怖症はこのときすでに発症していて、「ミスがないように」と準備期間に入念なチェックもした。
今でこそ、人前で話すことでドーパミンが出て、その行為を楽しいと思えるが、当時の僕にとってはそこまで慣れていない仕事であったので、不安が強かった。
入念な準備をすればどうにかなる、と自分を落ち着かせ、細かな内容まで決めることにした。
話すことも分刻みで決めて、出てくるだろう質問を予測し、その答えまで準備しておいた。
芸人さんが漫才の練習をするかのように、自分も練習に励んだ。
多分プレゼンテーションのプロみたいな人はこういうことをしているんだろうなぁと思いながら、黙々と鍛錬を重ねた。
ようやく少し自信が持てるようになり、いよいよプレゼンテーションの日を迎えた。
部屋には40人くらいの人が集まっていた。
不安もあったが、準備の量が充分だったのだろう。
緊張はさほどなかった。
いざ自分の番となり、小粋なジョークを挟んでプレゼンテーションを始める。
順調な滑り出しだ。
「このままならいける」、そう僕は確信した。
「ちょっと熱が入ってしまって、熱くなってきたので上着を脱がせていただきます。」
そう言うと、僕は上着を机の片すみに置いた。
こんなアドリブをきかせられるほど、僕には余裕があった。
しかしそのあとで事件は起きる。
僕がホワイトボードに文字を書くために後ろを向くと、「あっ」という声が上がった。
「誤字でもしてしまったかな?」と思ったが、どうもそんなことはない。
自分には関係のないことで声が出たのだろうと判断し、プレゼンテーションを続ける。
ところが、またホワイトボードに文字を書こうとすると、押し殺したような笑い声が聞こえた。
それが何回も起こり、僕は冷静を失い、想定していたようなプレゼンテーションを行うことができなかった。
プレゼンテーションのあと、友人に何が悪かったのか聞いた。
しばらく沈黙したあとで、彼はことのあらましを教えてくれた。
「君のズボンの股のとこ、破れてるよ。」
上着を着ていたときはわからなかったが、たしかに股の下が破れていた。
そして僕のここ一番ではく赤い下着が露出していたのだ。
それを聞いて、僕は赤面しながらも、「ああ、そんなことか、別に何ともないよ」という感じを出そうとした。
もちろん、心のなかでは「誰かいち早くタイムマシンを発明しろ」という叫びが鳴り響いていた。
取り敢えず変えたい過去がまた一つ増えてしまった。
それ以来、自分を後から見られることに不安を覚えるようになった。
ただ今は知恵がついてきたので、ズボンと同じ色の下着をはくことで、ズボンが破れていてもそう見えないようなカモフラージュの技術は体得している。
ちなみに僕のズボンであるが、今までに人前で3回破れていたことがある。