自分らしい働き方とは
先日のことであるがニュースに僕の好きな企業が取り上げられた。
その企業はみんなが大好きな外食産業の中心的な存在である。
僕は毎日でも食べたいと思うほどその企業の商品が好きで、家族も頻繁にお世話になっている。
庶民の求めるものを理解ってらっしゃるところがありがたく、本当にヤミツキになる美味しさなのだ。
そのニュースはその企業のとある店舗が採用の際に髪の色を問わなくなったという内容であった。
髪の色を自由にすることでもっと自分らしく働けるようにするためであるらしい。
その試みのおかげで実際にその企業で働きたい人の数も大幅に増えたとのことだ。
中学校時代、「浴槽洗剤で髪を洗うと金髪になる」というガセネタを信じて、毎晩洗髪していた僕だ。
ちなみに洗髪した翌日は金髪にはなっていなかったが、初期のビジュアル系ミュージシャンのように髪が垂直に逆立っていたことは忘れられない思い出だ。
したがって僕は髪を染めたい気持ちは理解しているつもりだし、染髪に寛容であるはずだ。
僕にとっては眼の前の人の髪の色が何色であろうと関係がないことだ。
だからこの試みが前衛的だなと思ったわけだ。
だが待てよ、と僕は思うのであった。
好きな髪の色で働ければ自分らしく働くことになるのだろうか?
いや、別にどっちでもいいんだけれど、自分が年をとりすぎたのかもしれないが、全くそこらへんの理屈が解らない。
髪が染められたら、労働以外の時間をエンジョイできるということなのだろうか?
バンドマンとかならありがたいのかもしれないけれど、髪の色が染まっていないとエンジョイできない私生活ってどういうものなのかよく解らない。
髪の色が何色であろうとその人の本質がかわらないということなのだろうか?
でも時代や企業が寛容になってきても、肝心の顧客が染髪に抵抗のある場合もあるだろう。
帽子をかぶれば髪の色はわからないからだろうか?
でもそれだと髪の色が人に見えていないから自分を表現することにはならないのではないか。
本当に別にどっちでもいいんだけれど、どう寄り添ってみても、100%腑に落ちる結論に到達しない。
水は100℃にならないと沸騰しない。
人間は空気がないところでは生きていけない。
宇宙には変えられない法則が存在する。
人類は厳密にその法則の中で知恵をしぼり最善の突破口を導き出してきたから今がある。
多様性を認め合うことは大切だと思う。
マイノリティーに対して不当に作用する法令などはきちんと吟味し廃止するべきだ。
けれども今の多様性尊重の流れはありとあらゆるものを認める方向に動いている気がする。
普遍の事実も変えられると教えているように感じる。
そして沢山の人を不安にさせ、生きづらくさせていると思う。
誰かが主張する多様性を尊重することで別の誰かが我慢をしているのではないか。
いずれにしても多様性の概念は今以上に成熟をしないといけない。
そして僕は今夜も自分の白くなったもみあげを染めようと努力を重ねるのだった。
この記事は当然のことながらフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係がありません。
※ 染髪。