あだ名よ、さらば
先日、映画「シックス・センス」を視聴した。
もう四半世紀前の作品で、世界的な大ヒットを記録した映画である。
衝撃のラストが待っているという触れ込みだったはずだ。
名作中の名作であるが、僕はCMを見てだけで怖くなり観ることができなかった。
しかし僕も大人になり、本当に怖いのは炭水化物を欲しがる心であることを知った今、いかなる映画も愉しむことができると思い、視聴に至ったのだ。
ネタバレをするのは無粋なので感想だけ言うと、この作品はホラーではなく、寧ろ心温まる作品であった。
おそらく純粋な心を失っていなければ号泣してもおかしくはなかっただろう。
優しい心が描かれるとても綺麗な作品であった。
承認欲求の化け物と言われようが、ただ1つ言いたいことがある。
僕は割とふつうにラストを予想することができたのだ。
それがもう嬉しくて誰かから褒めてもらいたくなり、奥さまに「僕はラストがわかりましたよ」とことあるごとに伝えたわけである。
あまりにしつこかったのだろう。
奥さまはまるで唾棄すべきものを見るかのように無言でこちらを睨んできた。
そしてそのとき僕のシックス・センスが働き、これ以上は僕の命に関わると思い、褒めてもらいたいという欲求を自分の中に封じ込めることとした。
奥さまは僕が承認欲求を抑え込んだのを見て、「だからあんたは職場で変なあだ名をつけられるんだよ」と吐き捨てた。
そう、今回の記事はそんな話である。

あだ名を禁止する小学校が増えていると聞いた。
いじめにつながるからという理由だ。
すべての生徒を「さん付け」で呼ぶことによって、生徒間に平等感と敬意を持たせることが狙いだという。
ぜひとも効果的であってほしいものだ。
ただ子供たちがこれで健やかに成長してくれればいいが、最近のいじめは深化しており、表面的な部分をいじっても本質が改善されないのではないか心配が残る。
しかしながら、あの眼鏡の少年に便利な道具を渡してくれる青い猫型機械を描いた漫画に出てくるいじめっ子の少年は今後どうするのだろう?
彼は自分を紹介するときに、「オッス、俺ジャイ◯ン」と人に周知させているではないか。
ないしは「俺のことはジャイ◯ンと呼んでくれ」というシーンを幾度となく見たことがある。
彼は今後どうするのだろうか。
そして先日、僕が仕事で遅くなったことがあった。
帰ったときには家族は夕食を済ませて風呂に入っていた。
風呂の中では家族は楽しそうに「バイキンマン遅いね」と笑い合っていた。
是非とも我が家ではあだ名禁止のルールを導入したいものである。
※あだ名。