まる猫の今夜も眠れない

漫画、英語学習、お笑い、ふりかけ、四方山話

夏空に流れ星 [ディレクターズ・カット]

原作との違いをお楽しみください。

青い夏

日本の高校には1年だけ通っていた。

そのとき、僕はミュージシャンになりたくてバンドを組んでいた。

最初はギター、ベース、ドラムのスリーピースで活動していた。

僕はベースと楽曲作成を担当していた。

そこにミミコがボーカルとして加入した。

ミミコは全く目立つタイプではなかった。

正直、向こうから話しかけられるまで、バンドの誰も彼女のことを気にしたことはなかった。

彼女は友達が多いほうではなかった。

けれども彼女が笑うとこちらも嬉しくなるような魅力を持っていて、清楚というよりもシャイなタイプであった。

勉強も頑張るタイプで、学年でもトップクラスの成績だった。

当時はルーズソックス全盛の世の中であり、周りの女子高生はみなそれを履いていたが、ミミコは校則通りの紺色の靴下にローファーを履いていた。

髪も染めたりパーマをあてることもなく、毛先をドライヤーで外巻きにするくらいが彼女のできる1番のお洒落だった。

だから、そんな内気なミミコが見ず知らずの僕たちのところにやってきて、ボーカルをやりたいと言ったときにはびっくりした。

でも彼女は内気な自分を変えたくてボーカルになったのだ。

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僕たちは骨太のロックがやりたかったが、彼女のまっすぐな姿勢に打たれた。

だから彼女が歌いたいと思うような曲を作るようにした。

「僕の心の中の君のスペースは ほかの誰にも埋めることはできないから」で始まるアップテンポの曲を彼女が気に入ってくれて、アレンジのことで近くの公園で夜遅くまで話し合ったりした。

それからしばらくしてバンドのギター君がミミコを好きになったと言い出した。

僕は「そうか、可愛いもんな」と彼を応援する旨を伝えた。

そして「でも恋愛は恋愛、バンドはバンドだからな」とだけ付け加えておいた。

ギター君は良いやつで、「おう、わかってるよ」とにっこり微笑んだ。

僕は独りになってしばらく楽器を眺めていた。

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ある晩、僕の家に電話があった。

ミミコからだった。

彼女はギター君から告白されたことを話した。

「チミはどう思う?」

ミミコは僕のことを「チミ」と呼んでいた。

僕は電話越しに「僕は...バンドが上手くいかなくなるのは嫌だな」と答える。

ミミコはしばらく何も言わなかった。

そしてゆっくりと言葉を紡ぎ出す。

「バンドじゃなく、チミはどう思う?」

僕は目を閉じて黙り込んだ。

そしてこう答えた。

「僕は...嫌かな。」

ミミコはかすれた声で言った。

「良かった。」

ミミコが笑顔になったのは電話越しでもわかる。

僕も笑っていたからだ。

次の日から僕とミミコは毎晩のように電話をするようになった。

「好きだ」とか「付き合って欲しい」とか、そんなことは言わずに。

ミミコも自分が僕にとって何なのか聞くことはしなかった。

ギター君とミミコは友達でいることになり、バンドはそのまま存続することになった。

僕とミミコも「多分いつか」という風に感じていたと思う。

あの日までは。

 

夏のひこうき雲

バンドのリーダーはドラム君だった。

彼は人格者で顔が広くて、同年代から社会人までたくさんの人脈を持っていた。

彼のコネで、僕たちは小さなライブハウスでライブをさせてもらえることになった。

もちろん、何組か演奏するうちの1バンドに過ぎない。

演奏時間も10分だった。

けれども僕たちは嬉しくて、土日はもとより、平日も練習場で準備をした。

ドラム君が自分の家の納屋を改装して一室作ってくれていたので、練習は毎日でもできたのだ。

ミミコの気合の入れ方はかなりのもので、練習後も汗びっしょりになっていた。

空調設備がなかったのもある。

相変わらず僕たちは毎晩電話をし、ライブに向けての話し合いから、ミミコの髪型、クラスメートで付き合っている人たちの話、最近聴いたCDの話をした。

まるで僕たち2人だけの言葉で話しているかのような気分だった。

誰も2人の世界には触れることができなかった。

練習のかいもあって、ライブは大きなミスも起きずに終わった。

演奏時間が10分だけだったのが結果として良かったのだろう。

僕たちは満足して、ライブハウスをあとにした。

そして僕とミミコは2人で駅に向かった。

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ミミコは「ライブ、楽しかったね」と言う。

そしてサイダーを口につけた。

ベースを担ぎ直して、僕は「ミスなく終われて良かった、でもリズム隊はもっと練習しないといけないなぁ」と答える。

するとミミコは小さな背中を見せてつぶやいた。

「あたし、オーストラリアに行くんだ。」

彼女は市の交換留学生に選ばれたらしいのだ。

僕は驚いた。

彼女も僕の驚きがわかったのだろう。

「でも1か月だけの短期留学だよ。」

「なんだ、そうか、じゃあバンドは1月はお休みだな。」

「お土産何がいい?」

「ブーメランに決まってるでしょ。」

他愛もない会話が続く。

そしてミミコは振り返り、小さく笑って言った。

「あたし、チミに1月会えないと寂しいな。」

夏の青い空にひこうき雲ができている。

心なしか蝉の鳴き声が静かに聞こえる。

「空港には見送りに行くよ。」

何千何万という言葉の中から、僕はそれを選んだ。

彼女は下を向いた。

待っていた言葉ではなかったのだろう。

僕はズルくて、自分に自信がなかった。

蝉がまた大きな音で鳴き始めた。

風に緑が揺れる。

ミミコはまた背中を見せて、夏の空を見上げた。

小さな肩が揺れていた。

その日ミミコからの電話はなかった。

 

空港

それからしばらくミミコとは会なかった。

夏休みが始まったのだ。

僕はドラム君と2人で練習場にいた。

リズム隊として練習をしていたのだ。

練習が一息ついて、ペットボトルのお茶を体に注ぎ込む。

それでも発汗に追いつかなくて、もう一本ペットボトルを開ける。

ドラム君が僕に言う。

「ミミコと何かあった?」

「いや、何もないよ」と僕は答える。

ドラム君はしばらく考えて、こう言った。

「今日、オーストラリアに出発だってこと内緒にしとけって言われたよ。」

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僕からはため息のような声だけが漏れて、視線を床に落とした。

静かに息をして、そして立ち上がった。

空港へ走るためだ。

間に合うかわからない。

電車を乗り継ぎ、何とか空港に着いた。

そしてミミコを探した。

一緒に来てくれたドラム君も空港を探し回った。

けれどもミミコはいなかった。

そして僕は、自分の心の中のミミコのスペースはほかの誰にも埋めることができないことを知った。

 

夏の終わりに

それから僕はぼんやりと夏を過ごした。

見るもの全てが色彩を失ってしまったかのように、無機質に映った。

楽曲を作ろうにも、音をつなげることができない。

そして夏も終わろうかというある日、練習場に行くとミミコがいた。

「ただいま」と笑顔でミミコは言う。

「おかえり」と言い、僕もつられて笑顔になる。

僕たちは2人ともわかっていた。

僕たちは練習場の近くの誰もいない広場に行った。

眼の前には見渡す限り稲穂が青々と茂っていた。

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ミミコは僕におみやげと言って、袋を渡した。

「それ買うの大変だったんだよ。」

袋を開けるとブーメランが入っていた。

「ありがとう。」

おみやげのブーメランは思ったより軽くて、人に当たっても痛くもないような素材でできていた。

多分、子供のおもちゃのブーメランだったと思う。

突然風が吹き、稲穂が揺れる。

蝉の声はもうあまり聞こえない。

夏が終わろうとしていた。

「ミミコがいなくて寂しかったよ。」

僕はミミコに背を向けながら言った。

「ミミコがいなかったから、心がいつもどう動くのか忘れてしまったよ。」

僕は振り返り、ポリポリと頭をかいた。

ミミコは下を向いた。

「チミは...チミは...ズルいよね。」

遠くで車の音がする。

僕は誰もいない稲穂の方へ歩き出した。

手にあったブーメランを振りかぶる。

このブーメランが戻ってきたら、ミミコに言おう。

僕とミミコの関係に名前を付けよう。

そして彼女を幸せにできる自分になろう。

ブーメランは僕の手を離れ、秋の気配がする空に吸い込まれた。

 

そしてそのまま戻ってこなかった。

 

え、ブーメランって戻ってくるものじゃないの?

1分経っても2分経ってもブーメランからの音沙汰はなかった。

無人の田んぼに不時着した模様だ。

 

ミミコはこの状況にひいていた。

 

自分が苦労して買ってきたおみやげが、一投で無に帰した瞬間であった。

 

そして僕も完全にひいていた。

 

さきほどの状況を台無しにする芸術的なまでの失敗に唖然としていた。

 

そしてブーメランが戻ってくることがなかったように、彼女の心も戻ってくることはなかった。

 

※ チミたちよい子のみんなは無人の場所であっても、何かを投げるときは注意して投げましょう。