後発白内障と僕
僕は白内障の手術を受けたことがある。
その話はいつかブログにしたいと思っている。
感動で読者様の瞳が涙でにじみ、文章が読めないほどの名作になるに違う。
いずれにしても僕は白内障経験者である。
そんな僕がある日目の異変に気がついた。
夜ベッドで携帯を見ていると、左目で見たときに画面が真っ白にしか見えないという異変であった。
文字の識別などはもってのほかで、人の識別すらできなかった。
これは「白内障だ」と禁断の自己診断をして、近くの眼科医に向かう。
とうとう僕の左目にも白内障の症状が出たのかと観念した。
近くの眼科医さんは本当に優しく丁寧に対応してくれ、質問にもわかりやすく答えてくださる素晴らしいお医者さんである。

お医者さんは詳しく僕の目を診断してくださり、「まる猫さんは左目の白内障の手術を受けていますね」と言った。
左目?
今見えていないのが左目なので、以前手術を受けたのは右目だと勝手に思っていた。
ということは手術を受けた目がまた見えなくなっているのか?
僕は恐る恐るお医者さんに聞く。
「先生、また白内障が再発したのでしょうか?」
またあの恐ろしい手術を受けないといけないのかと絶望に近い気持ちであった。
すると先生がこうおっしゃった。

「白内障が再発するということはふつうありません。」
先生は続けていった。
「これは白内障に症状は似ていますが、白内障ではありません。」
希望にあふれた言葉だった。
僕は喜びに包まれてこう言った。
「先生、それじゃ、あの手術はまたしなくて良いんですか?」
食事中のかたもおられるかもしれないので、詳細は書かないが、僕にとって白内障の手術は本当に恐ろしかったのだ。
先生は笑顔で「はい、大丈夫です」と言ってくれた。

「ありがとうございます、先生。」
僕はそう言って心底感謝した。
すると先生がこう付け加えた。
「後発白内障はレーザーで治療します。」
レ、レーザー?
いや、貫通したらどうするんだ?
僕は恐怖で震えた。
メスも怖いがレーザーも怖い。
先生は僕の不安を察知し、「大丈夫ですよ、全く痛くないので」と子供をあやすように言ってくれた。
そして僕は先生から紹介状をもらい、かつて白内障の手術を受けた大変評判のいい大病院へと赴くのであった。
その大病院は家から少し離れた場所にある。
お医者さんが親切、丁寧であるだけでなくスタッフや事務の方もメディカル・マインドを持っている素晴らしい病院である。
なかなかこう隅々まで教育が行き届いている病院はない。
患者の不安に寄り添ってくれ、本当に評判が良い病院なのだ。
ただ1つ難点を挙げるならば、評判が良すぎて人気がありすぎることだろうか。
数ヶ月先まで予約が取れないのだ。
予約しようにも「数ヶ月が取れないので、予約無しで待っていただくほうがいいと思います」とオペレーターさんに言われたくらいである。
これはレストランの話ではない。
いや、レストランだって今はそんな店は少ないと思う。
実はだいぶ前に予約無しでこの病院を訪れたことがある。
仕事場からは自転車で10分のところにあるので、2時間あれば帰ってこれるかと思って仕事を中抜けしたのだが、実際帰れたのは4時間後であった。
上司は理由を尋ねたが、僕はうずくまり無言を貫いた。
結局上司が折れて、「二度とすんなよ」と言われただけですんだが、僕はこのとき石の上にも3年ということわざの真理を悟った。
話を本題に戻す。
もう老若男女この病院を頼っているのだ。
体のどこにも異常のない人も行っているのではないかと思うほど常に混んでいるのだ。

待ち時間が黄河の流れのように悠久であることを知っていたので文庫本、仕事道具、ワイヤレス・イヤホンなど時間を潰す道具をフル装備して病院に赴いた。
そして受付を済まし、紹介状を渡す。
それから長椅子に座ると、文庫本を取り出して読み始めた。
大病院で待合室も広い。
しかし人気がありすぎるためか患者が鮨詰めに近い状態になっているのも事実だ。
たぶん診察が終わる頃には何人かは鮒ずしのようになっていることだろう。
しかも待合室1と待合室2があり、1での処置が終わると2で次の処置を受けるというシステムになっている。
当然待合室2もごった返している。
偶然だと思われるが、僕は待合室1で不思議な体験をする。
例えば僕の名前を仮に手近藤マチャ彦だとしよう。

僕が文庫本を読み始めると「手近藤マチャ彦さ〜ん」と名前を呼ばれた。
僕は「早いな、まだ20分くらいしか経っていないではないか」と感動したのだが、「は〜い」と言って立ち上がったのは僕ではないブルース・ウィリス的な髪型の男性であった。
そしてブルース・ウィリスさんもどきの方はスタッフさんに検査室に招かれていったのであった。
同姓同名なのか。
まぁ100人くらいは待っているからな。
そういうこともあるのだろう。

そしてそれから20分ほど待つと、僕は検査室に通された。
そこでは瞳の状況を調べたあとで、視能訓練士の方がテキパキと視力の検査をしてくれた。
僕は椅子に座ると、ランドルト環と呼ばれるCみたいなマークを見るように言われ、環の上下左右どこが開いているかを問われるおなじみの検査が始まった。
正直僕の左目は白くぼやけて見えていたので、視能訓練士の方に「はっきりと見えない場合はそう言ったほうがいいですか?」と聞くと、「見えるがままに答えてもらっていいですよ」と言われる。
そして僕の快進撃が始まった。
何となく見えた方を言っただけだが、まさかの視力検査全弾必中が起こる。
正直「・」としか見えていないのだが、たまたま言った向きが全て当たるのだ。
その結果、僕の左目の視力は1.5と判定される。
僕と視能訓練士の方の間に微妙な空気が流れる。
「こいつ、後発白内障と言っておきながら全部見えてるじゃないか。」
そんな心の声が聞こえてくるようだった。
それから僕は待合室に戻る。
ちなみに僕が患っていた後発白内障とは白内障を患った人が視界を正常にするためにレンズを入れたあとで再び視界が白く曇る症状のことであり、正確には白内障ではないらしい。
待合室1をクリアーして現在の地点にいるわけだが、2度の検査を受けて2時間が過ぎている。

ワイヤレス・イヤホンを持ってきたはいいものの、それを装着すると「まる猫さ〜ん」という声が聞こえないことに気付き、ラジオを楽しむことができない。
自分が読唇術をマスターしてこなかったことを痛烈に後悔する瞬間であった。
そんな僕がイヤホンなどしたら「ジャイアント・ロボさ〜ん」と呼ばれても「は〜い」と言ってしまうかもしれない。
恐ろしい。
僕はジャイアント・ロボではないからである。
したがって文庫本という武器だけで戦うしかないわけだが、寝落ちに寝落ちを重ねたので事件の真相を5回ほど読むことになった。
「この登場人物は何回同じ目にあっとるんや」と言いたくなったが、5回めには逆に笑えてくるから不思議だ。

正直タイムリープしているのではないかと思うほど時間が過ぎない。
エグい。
待つことは知っていたが、山頂が見えない。
成長の速い動物を連れてこなくてよかったと心底思うほどである。
周りを見渡すと多くの人が口を大きく開けて瞳を閉じている。
まるで深夜バスだ。
中には目を見開きながら口を開けている人もいる。
怖い。
ホラーすぎる。
そしてようやく僕の名前が呼ばれる。

診察室ではとても優しい眼科医さんがおられた。
眼科医さんは僕の瞳を検査し、「これは診断の通り後発白内障ですね」と述べられた。
たまたま僕がゆく場所ゆく場所でスモークが焚かれているという可能性も考えるには考えたが、やはり無理であったか。
それから眼科医さんは「YAGレーザー治療が必要ですね」とおっしゃられる。
そうなりますよね。
僕は恐怖で表情をなくしながら先生の話を聞いていた。
次に来たときにまた3時間近く待ってレーザーで撃たれるのかと思うと雪のようだ、悲しみは。

そんなとき、先生は信じられないほど自愛に満ちた言葉をかけてくださった。
「もう少し待っていただいたら本日治療できますよ。」
え、何ですって?
僕のレーザーへの恐怖は砂塵の彼方へと消えていった。
何とありがたいことばであろう。
もう1度来てまた悠久の刻を過ごすことは僕にはできない。
「先生、そのレーザーが頭部を貫通することはないですよね?」という質問を忘れるほど感謝をし、僕は「ぜひお願いします」と即答した。

それから僕は待合室2に戻り、看護師さんに目薬をしていただいたあとで別室で治療の説明を受ける。
もちろん気になるのは費用だ。
その日は大金を持っていた。
なんと8500円だ。
本当はジェラルミン・ケースに入れておきたいほどの大金である。
僕は大船に乗ったつもりで、いや寧ろ宇宙戦艦ヤ◯トに乗ったつもりくらいでいた。
別室におられた事務の方は丁寧に説明をしてくださり、最後にYAGレーザー治療は3割負担で片目6000円ということを教えてくださった。
僕は波動砲を食らったかのような衝撃を受けたが、背に腹は代えられない。
「お願いします」と伝える。
後で聞けば6000円はかなり良心的な値段らしい。

そして僕は待合室2に戻り、再び看護師さんに目薬をしていただいた。
暑くなってきたのでダウンを脱ぎ、ジャケット姿になると、緊張がとけたのだろうか、僕はぐっすりと眠ってしまった。
どういうことか未だ不明であるが、眠る前は周りにあれだけいた人が独りもいない。
ドーナツ化現象が僕に?
僕は不思議に思い、胸元を見るとシャツがぐっしょりと濡れていた。
結局それは何だか解らなかったが、ヨダレではないだろう。
きっと近くの海から海水が空中を漂って僕のシャツに付着したのであろう。

眠ったおかげか時間がかなり経っていた。
僕はほとんど待ったという感覚がないまま診察室に再び呼ばれる。
僕はさきほどとは異なり、診察室のカーテンで区切られた場所に座るよう言われる。
そこには高級そうな機械があり、僕はその機械に頭を固定してもらった。
波動砲、もといレーザー治療のはじまりだ。
僕は力んだが、先生が名医だったのであろう。
治療はものの数分であり、痛みは全く無かった。
「明日には視界が正常になっていると思います」と先生は微笑って言ってくれた。
先生の笑顔で僕は救われた気持ちになり、感謝の言葉を伝え、待合室1に戻った。
あとは会計を済ませるだけだ。
そして病院に入ってから4時間後、長かった戦いもフィナーレを迎えた。
素晴らしい病院であり、僕は本当に感謝をしている。
次の日、先生の言われる通り、僕の視界の白いもやは全くなくなっていた。
何と凄いことだろう。
それまであったストレッサーがなくなり、日常を快適に過ごせるようになった。
後発白内障になられた方は素晴らしい病院にいち早く行くことをおすすめする。
しかし僕はある悲しい事実を知ることになる。
近くの文字が見えない。
何という皮肉だろうか。
後発白内障が治ったおかげで自分が老眼であることに気付くことになるとは。
そして僕は眼鏡を外して近くのものを見るようになった。
※ 瞳はとても大切です。